はじめまして。
ようこそ、「移住力」へお越しくださいました。
このサイトに来て頂いたということは、もしかして移住や田舎暮らしにご興味が・・・?
私達もそうなんですよ。
そんなわけで神奈川県から長野県の安曇野に移住をしたんです。
夫婦二人だけ、31歳の秋でした・・・。
定年間近でもないし、安曇野に知り合いが居たわけでもなかったんですよ。
土地勘があったわけでも、特別お金持ちでもありません。
もしよかったらそんな私達の四方山話を聞いてくださいませんか?
2011年3月の震災をきっかけに移住を検討
私じゃありません、夫です(笑)
当時、川崎市麻生区というところに住んでいました。
川崎市の中でも緑の多い土地で、結婚を機に武蔵小杉から引っ越したんです。
都心に近いながらも、狸も出るような場所でそこそこ気にいってたんですけどね。
あの日、3月11日のあの日―。
夫はいつものように会社に行っていました。
自宅からは1時間半、電車に揺られていきます。
で、地震があったんです。
会社があった場所は震度4か5くらいでした。
被災地に比べたら大したことはありません。
ただ、その時夫がいたのは地上20階でした。
2000年に出来たばかりの新しいそのビルは免震対策もバッチリ・・・だったそうなのですが、その免震方法というのが「ビル自体を柔軟にして揺れを逃す」というもの。
揺れを逃さなければ、ビルはポッキリいってしまいますからね。
仕方のないことです。
ですが、その揺れは大変凄まじかったそうです。デスクも椅子も自分もズルズルとフロアを行ったり来たり。
「机の下に隠れるとか、そういうレベルじゃない」のだったそうです。
フロアの床が上下するシーソーのように見えた時
実際はそこで終わることなく、余震に震えながら階段で地上まで降りてこれましたが。
そして、帰宅は徒歩。
会社を17時前に出て、家にたどり着いたのは夜中の12時。車で迎えに行こうとも、大渋滞に巻き込まれ1時間経ってやっと100m動くかどうか。
歩いた方が早かったんです。
翌日からも電車は回復しておらず、車で行くにもガソリン一つ入れられない(整理券を配られて並ぶ)。
米屋には人が並び、スーパーには食べ物がなく、水にいたってはどこを探しても売り切れ。
何をするにも並ぶしかない日々。
その時に夫は心が折れたんだそうです。
なんのためにこんな人ごみで生きていかなくちゃいけないのか―。自問自答をしばらくの間続け、そして答えが出ました。
「ここにいる理由はない」
この時にすでに夫の気持ちは決まってたんです。
夫が突然退職願を提出!
当時、私は看護師として働いていました。
訪問看護師として、日々色んなお宅を訪問しては患者さんのケアをする日々でした。
お昼休み、夫から一本のメールが届きました。
それを読んだ時には正直、意味がわかりませんでした。
「退職願出したから♪」
・・・・・
・・・
・・
はぁ?!
出したって、どういうこと?
ちょ、ちょ、ちょっ!!
慌てて夫に電話をするも出ず。
曲りなりにも大手企業。
保障も手当てもバッチリ・・・じゃなかったのかい!
新卒で苦労して入社して、
面白いプロジェクトに関われるようになった・・・のじゃないのかい!
そんなに簡単に捨てられるものだったの?これから私の収入だけで生きていくの?子供が出来たらどうするの?
夫の退職をやっと理解できた時、私は顔面蒼白です。元々度胸がある方じゃないし、冒険よりも安定志向です。
夫の行動はすごく短絡的に思えたし、無責任だと思いました。
だって、いきなり退職願出したから♪←おんぷって書いてくる人、信頼できないですもん。
そうだ、長野へ移住しよう
以前から「いつかは田舎暮らし」という話を度々夫としてきました。
でもまさか、帰宅した夫から
と言われるとは思いませんでした。
「いつか」は本当に「いつか」の話で、もしかしたら訪れることはないのかもしれない「いつか」だったんです、少なくとも私の中では。
でも、夫はそうじゃなかったんです。「いつか」は必ず訪れる「いつか」であり、それが「今」に変わっただけでした。
長野に移住するということは、私も仕事を辞めなくちゃいけないってことです。「夫婦無職になって長野へ移住」というわけです。
こんな危険なことを「はいそうですか」って受け入れられますか?ムリですよね?
心療内科を予約しようと電話をしたら、「ご新規は3ヶ月待ちです」とのこと。
さすが都会。
さすが140万人超え都市。
結局、病院に行くことなく移住しちゃいました。私がこんなに苦しんでいたこと、夫は今でも知りません。
移住先を「とりあえず」安曇野に決定
それからは夫主導で、週末の度に長野に家探しに行くようになりました。これから無職になる私達。
無駄遣いは絶対に出来ません。ちょうどこの頃、「高速1,000円」の政策をしていたんですよね。
そう、劇薬とも言われたあの政策です。
これを良いことに日帰りで長野を往復していました。どこに住むかも、何をするかも決めていません。
とにかく自分達が気に入りそうな場所探しからはじめました。こうして見つけたのが「安曇野」です。
「ザ・里山」という雰囲気を持ちながら、買い物などの生活の便も悪くない。雄大な北アルプスに守られ、美しい清水が湧き出る安曇野は、とても美しく魅力的でした。
場所が決まったら今度は物件探し。
どうせなら一戸建てがいい。
犬も飼いたい。
庭付きがいい。
家庭菜園ができる畑も欲しい。
不安は少しずつ希望へと変わっていきました。
こんな適当に移住を決めていいの?って思ってました。案の定ノープランで安曇野行きを決定したせいでその数年後に大変苦労して再び移住することになったんですけどね。
家賃6万で1戸建てに住むことになりました
ネットで探した物件は基本的には大手の不動産会社が扱うもので、相場も高めだったと思います。
(といっても都心と比べるとだいぶ安いですが)
それを知ってからは地元の不動産会社を探して、アポなしで訪問しました。何ヶ所か目に出向いた不動産屋さんにそれはありました。
関連記事信州長野・安曇野への移住。どうやって物件を探したか?築31年。
庭付き・畑付きの一戸建て。
「犬?あ、いいですよ」とのこと。
内覧して、即決しました。
「ここにします。」
2階の窓からは広がる田んぼ、そして神々しい北アルプスが望めます。
今まで住んでいた「軽量鉄筋コンクリートのアパート10万円」とは比べ物にならない優良物件です。
当初、不動産屋さんには「無職になる」ことを相当懸念されていましたが、現時点で夫が勤めている会社が大手だということと、私が資格職(看護師)だということで大家さんが快くOKしてくださり、無事に審査が通りました。
それからは安曇野移住が楽しみでなりませんでした。気がつけば、私のパニック障害(もどき)も落ち着いていました。
安曇野移住から5年後、問題発生
春には新緑の緑が芽吹き、夏には山から吹き降ろす風が心地よく、秋には深紅と黄金に山が染まり、冬には輝く白の稜線がその厳しさを伝えてくれます。
毎日毎日、魅せてくれる景色が変わります。
とても魅力的な場所だったんですけど・・・自分たちの中に「何か違う」が出てきました。些細なことかもしれませんが当時感じていた違和感を書きだしてみるとこんな感じ。
- 田舎暮らしなのに生活コスト高すぎない?
- 景観はキレイだけど人が多すぎない?(観光地)
- 夜、星空が見えなくない?
- 蛍、いなくない?
- 冬、寒すぎない?(-17度)
- 風、強すぎない?(山おろし)
- 賃貸だから、家を自由にリフォームできないよね?
- 家の前が道路で車が通るって理想と違うくない?
ざっとこんな感じです。少しずつこの違和感が蓄積していって「せっかく移住したのになんかちがーう!」という不満につながっていきました。
関連記事移住先を適当に選んだ結果苦労したことって何?この間に私達夫婦には子供ができました。子供は作るつもりだったので、これは願ったり叶ったりの嬉しい出来事だったのですが、子供ができたことがきっかけで安曇野移住に見切りをつける決定打が起こりました。
安曇野は人気移住地。
子供も多いんですよね。結果、私達の住む地域では毎年ゼロベースで保育園の審査がありました。
要は一旦保育園に入れたからと言って、次の年もその次の年もずっと入り続けることができるわけではないということ。いきなり、来年からは入れません、もあるんですよね。
また、保育園は通える範囲に4ヶ所あったのですが、毎年このうちのどれかの保育園に通います。先生も友達も毎年バラバラになってしまうということです。
実際、2歳→3歳で保育園が変わりました。
せっかく慣れた保育園から別の保育園に通うことになって、息子は毎日ぎゃん泣き。ストレスからくる症状で体調を崩すようになりました。こんな状態でこどもを保育園に行かせることは親として気が咎めます。
やっと自営業が軌道に乗ってきたところで、仕事の忙しさと保育園に行かせることへの罪悪感とで板挟みの日々が続きました。
先に言い出したのは夫でしたが、私も同じ気持ちだったので夫婦の中では第2の移住はすぐに決定しました。
田舎移住は計画性が何より大事
私達のように、再び移住を繰り返さないためには、最初の計画が何より重要だと身をもって実感しました。そこで今度は徹底的に計画を立てました。
2人目を作る予定もあったため、家族計画も照らし合わせつつ、移住支援制度、仕事のこと、生活コスト、子育て環境、住む場所で変わってくる住民税や国保のことも調べに調べてから移住先を決めました。
長野での移住生活は月に20万円は絶対に下回ることができませんでした。家賃に保育園の費用だけで10万円はかかっていましたら。
でも、いつどうなるか分からない自営業夫婦。生活コストを下げ、子供との時間を取りつつ、例え収入がゼロになっても(ダメだけど)数年は生きていくためにはどうしたらいいか。
住む場所に徹底的にこだわった結果、今では月に10万円以下で生活できています。
計画的に移住した現在(2年目)は、満足度の高い田舎暮らしを送ることができています。
安曇野移住は失敗だったか?
正直、当時は失敗したと思いました(笑)
でも、今はとても良い経験ができたと思っています。あの失敗があったからこそ2回目の移住は大成功を収めることができたわけですから。
これから田舎移住を検討される方へ
私達夫婦は長野・安曇野移住の失敗経験をもとに、どうしたら移住が成功するかを徹底的に考察しました。移住は目的と下調べがちゃんとできていれば決して失敗率の高いものではないと今では思います。
もし移住をしたいなとあなたが考えているのであれば、このサイトは少しお役に立てるかもしれません。便利な都会に住む生き方もいいと思いますが、たった一度しかない人生において、「田舎で暮らしてみたい」と思うのであれば夢のまま終わらせるのはもったいないと思うからです。